就活から逃げるためのおもちゃ

就活が嫌すぎたのでブログを書く。

平成の最後に過去の栄光を語る体重0.1t

この間の健康診断、身長が180cm、体重が107kgでした。これは酷い。ちなみに、最近知り合った人は知らないと思いますが、2か月前までは髪の毛が長く、そのためか去年の健康診断の時より身長が1.2cm縮んでいました。なのに体重は増えてる不思議!

 

今は運動と言えば週4,5でやっている早朝仕分けのバイトのみ、体力などミジンコ以下です。ですが、こんな僕でもスポーツマンだった頃があります。

 

 

初めてスポーツを始めたのは幼稚園生の時、確か年中さん辺り。なんで始めたかは覚えていませんが、水泳を始めました。一応今でもバタフライまでできると思います。ここ数年泳いでませんが。辞めたのは小学2年生。マリンという水泳教室に通っていたのですが、選手コースという一定以上の上達をした人が行けるコースまでいき、その練習がとてもキツくて辞めたはずです。元々始める時も選手コースまで、という感じで始めたので辞め時だったのでしょう。ちなみに小学6年生の時に大会に出ました。平泳ぎのターンで両手をつかなければいけないところをつい片手でターンして失格でした。悲しい。

 

次は体操教室。これは3年生から4年生の間だったと思います。体操教室、といっても、体育館で跳び箱やなんやらを使って、毎週いろいろな運動をするようなものです。体操といって思い浮かべるアレではないです。これは4年生までの1年間でしたが、友達と遊ぶような感覚で通っていました。

 

 

その次が野球。巨人軍が運営しているジャイアンツアカデミーという、元プロ野球選手が教えてくれる野球教室でした。この教室と体操の曜日が被っていたため、体操の方はやめました。

そして5年生で辞め、地元の野球チームに入りました。ちなみに、僕には野球の才能は全くと言っていいほどなく、ずっとベンチでした。3年やっててゴロの処理やフライの捕球もままならないのは逆に才能を感じますね。野球自体は楽しかったです。当時は6年生で身長163cmのサウスポーでしたから、体格的には恵まれていたはずなのですが。

 

 

そんなこんなで中学生。小学生時代の野球仲間と共にバレーボール部へ入部。僕の黄金自体です。確か僕の世代は10人入部しましたが、そのうち5人は同じ野球チームの友達でした。幸いバレーの方は才能がなかったわけではなく、2つ上の先輩が引退すると同時にレギュラー争いへ。1つ上の先輩が5人しかいなかったため、1年生は3人レギュラーでした。人数が合わない!と思う人もいるかもしれませんが、リベロ制度でセンター、センターバックリベロの3人がレギュラーでした(センターバックって表現はおかしいかも)。

そして1つ上の先輩が引退し、自分たちの世代へ。自分たちのチームの持ち味は何といってもバリエーションでした。最終的に11種類の攻撃を持っていましたからね。レフトオープン、Aクイック、Cクイック、ライトオープン、バックアタック、レフト平行、ライト平行、センターオープン、Aセミ、Cセミ、センターセミ。たしかこんな感じだったはず。自分はCクイックとセンターセミクイックが得意でした。多分。ポジションは相変わらずセンター。リベロとの交代なので後衛はサーブ時だけです。もう一人のセンターは素早い弾道に対して、僕はサウスポーという点とコントロールを使い分けていました。懐かしい。どちらかというとコースの打ち分けが得意だったと思います。サーブにおいてもそれは同じで、自分たちの代になってから、サーブミスは全部で3,4回くらいしかなかったと思います。コートの隅を狙ったり、相手のレシーブが苦手な人に向かって打つのが得意でした。

新人大会の時の話ですが、ある対戦相手でレシーブの穴を見つけ、連続15,6回サービスエースを決め、チームメンバーに「もういいよw」と言われた覚えがあります。

最高戦績は区大会2位、都大会ベスト32だったかな。特に区大会では、毎回3位でいつも負けていたチームに接戦で勝ち、とても熱くなったのを覚えています。あの試合ほど集中した試合もないし、あれほど楽しかった試合もなかったです。ちなみにバレー部のメンバーとは今でも年に1回飲みに行きます。

そしてバレー部を引退。この時、身長180cmの体重65kgでした。すごい。そして高校入学。このとき、身長180cmの体重80kgでした。なぜ?

 

 

高校選びの時、もうバレーはやりきったなという感覚が合ったのでバレー部は考慮に入れていませんでした。第一の過ち。入学が近づくにつれ、バレーがやりたくなりました。幸い入学予定の高校には6人しかいないけど男子バレー部があるとのことで、そこに入部するつもりでいました。そして入学、バレー部に入ろうと思ったら説明会で男子バレー部は出てきませんでした。先生に聞いたところ去年廃部になったそう。

 

去年廃部になったならパンフレットに男子バレー部を記載するんじゃねえ!!

 

と、いうことで元顧問に直談判。速攻拒否。メンバーを集めてから再度直談判。速攻拒否。

 

こんな感じで途方に暮れました。野球はやりたくない。水泳はない。じゃあ何の部活に入ろうかな...。そんな時、この高校には珍しい部活があるのを思い出しました。

 

 

鹿島神流武道部

 

恐らく聞いたことがある人はいないと思います。この名前を出してわかったのは祖母の兄と、大学に同じ部があったゼミの先生だけです。

少し説明しますと、鹿島神流とは、神様が伝えた武道で、物理法則に従った合理的に考えられた業(わざ)を使う武道です。その種類は多岐に渡り、剣術、柔術(素手)、居合術、槍術、薙刀術、懐剣術(短刀)、杖術(棒)、果ては手裏剣術まであります。最も、高校3年間までは基礎的な剣術と柔術のみでしたが。この武道は門外不出とされ、全世界でも2000人ほどしか門下生はいません。

鹿島神流で最も有名な人物は國井善弥です。様々な流派に看板破りを行い、相手のルールに乗っ取って戦ったとされます。それでいて生涯不敗という人物。有名なエピソードとしては、第二次世界大戦に負けた日本は、GHQの指示のもと、教育勅語、そして武道の禁止を命じました。しかし武道の禁止に反抗した政府に対し、GHQが出した軍人に1対1で立ち合い、勝てたら撤回するという条件を出しました。軍人は本物の銃剣、日本の武道家は稽古用の木刀という、極めて不利なものです。そこで日本から選ばれたのが國井善弥です。相手の銃剣術の突きに対し、冷静な軸ずらしからの袈裟斬りで決着。勝負は一瞬でした。

 

あまり技術的なことについては話せないのですが、とても簡単な理屈に沿った、合理的でなぜそうするのかが考えればわかる流派です。僕は鹿島神流武道部へ体験入部。それまで武道はやってこなかったのですが、先輩の演武のカッコよさや、今までやってきたのと違った身体の動かし方の面白さでこれだ!と思い入部。ちなみに3年生が6人(多分、正直覚えてない)、2年生が2人、そして新入部員である僕たちの世代が2人でした。いやおかしい。

 

僕と一緒に入部した、後の部長はなかなかクレイジーな奴で、総合格闘をやっていたムキムキマッチョでした。基本的にそいつと稽古するのですが、力が強く、またこの高校に入部しただけあって真剣に稽古に取り組んでいたので、相手をするのが大変でした。といっても僕もやるなら真剣に、また、そいつに負けたくないという思いから熱中していきます。文化祭での演武のために稽古をしていた時など、苦手な業があったのでそれを30分ほど練習。上段の手刀を手刀で反らし打ちする業だったのでお互い腕が真っ赤になったこともありました。

 

1年生の5月、同じ学年の男が入部してきました。いや最初からこい!

確か6月だか8月、また同じ学年の男が入学。いやだから最初からこいよ!

 

そして確か2年になる直前、同じ学年の女が2人入部。最初からry

 

そして2年後期、僕の幼なじみが入部。軟式野球をやめてこっちにきました。これでフルメンバー。最も4番目の男は3年次に受験のため辞めていきましたが。思えば僕が今、少しでも女性と会話を成立させることができるのは、この時部活に女の子がいたからかもしれません。それまでは女友達?なにそれ?って感じでしたからね。

そんなこんなで時は流れ、僕は副部長へ。正直部長が部長に向いてるとは思わなかったので自分が部長になるものだと思っていました、しかしここでは言えない事情から副部長になりました。そしてこの不安は的中。部長が予算申請のための面談をすっぽかし、あわや予算0という事態へ。幸い顧問の先生が予算などを管理する担当だったため予算は貰えましたが、筋肉バカを部長に指名した先輩から

「やっぱり君の方がよかった、ごめんね」

と謝られました。そりゃそうだ。

 

そういえば後輩の話をしていませんでした。1個下の後輩は男子9人、珍しく大人数入ってきました。

 

 

が、ここで問題です。彼らのうち3名が、ある事情で鹿島神流武道部に入部しました。さて、何故でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

「バレー部がなかったから」

 

です。

 

パンフレットいい加減更新しろや!!

 

その哀れな犠牲者の中に、まさかの中学時代にバレーで対戦したことがある人物が。これは驚きでしたね。というか彼らももう成人しているし、一回飲みに行きたいものです。奢りませんが。ちなみにパンフレットは僕が2年生の時に更新されたので次の年には哀れな犠牲者はでませんでした。良かったね。特に3人の中の1人は元顧問に何回も直談判し、最終的に怒鳴り散らされてましたからね。

 

3年生の時の新入生は男子2、女子1でした。バレー部詐欺がなくなったからか・・・?

 

そんなこんなで卒業。部長とは年に1回くらいは会ってます。幼なじみは割と会っている気がしますね。

 

さて、長々と続いてしまいました本記事ですが、もう書ける経歴がありません。ちなみに高校卒業時は身長180cm、体重90kgです。大学ではバレーサークルとバドミントンサークルに入りましたが、合わずにすぐに辞めてしまいました。

 

その後に行った運動といえば、サバゲーくらいです。年々サバゲーで走れなくなってきて危機感を覚えてきました。でも走るのは嫌いなのでもういいや!w

 

 

なんだかんだ、鹿島神流武道部に入ったことは後悔していません。そりゃあバレー部に入りたかったという気持ちもありますが、武道を通じて学べたことは、バレーでは学べませんでした。具体的に言うと、ムカつく奴がいても

「でもこいつ俺が本気出せば骨の1本や2本余裕だよな。」

と思うことで、対人関係におけるストレスが少なくなりました。あとモンハンのローリングやDARK SOULSの軽ロリができます。え、下らないって?後者はともかく前者はガチですよ。冗談に思えるかもしれませんが。

 

こんな感じで過去の栄光を振り返る、本記事は終了です。ノートパソコンから顔を上げれば、重く暗い現実が待っています。ずっと振り返っていたい欲望を抑えつけ、さようなら!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、辛い現実。